使用機材:SIGMA sd Quattro H + SIGMA 40mm F1.4 DG HSM | Art | 露出モード:M-マニュアル露出 | ISO感度:200 | ホワイトバランス:晴れ | シャッター速度:1/125 秒 | 絞り値:F2.8 | 焦点距離:40mm | ファイル形式:JPEG | 画像サイズ:4128 × 6192
ファイルサイズ:14.12MB
押本龍一、東京品川生まれ。
1982年、2年の留学予定で渡米。1984年ニューヨークに渡り刺激を受け予定を変更し広告写真スタジオで働き始める。1991年フォトグラファーとして独立。1995年ニューヨークからロサンゼルスに拠点を移しエンターテインメント関係の撮影中心に活動。2018年より日本とアメリカの二重生活。近年は旅写真にも力を入れている。
オフィシャルサイト : http://oshimoto.net/
使用機材:SIGMA sd Quattro H + SIGMA 24-70mm F2.8 DG OS HSM | Art | 露出モード:M-マニュアル露出 | ISO感度:100 | ホワイトバランス:モノクローム | シャッター速度:1/160 秒 | 絞り値:F5.6 | 焦点距離:37mm
4月1日、平成に代わる新元号は「令和」と発表された。「令和」の引用素となった「万葉集」の「梅花の歌」は、大宰帥(だざいのそち)、今でいう大宰府の長官であった大伴旅人(おおとものたびと)邸で開催された「梅花の宴」で詠まれ、福岡県太宰府市にある坂本八幡宮周辺は、大伴邸宅跡の可能性が高いと報道された。元号が「令和」になった5月1日、私は羽田から福岡へ飛んだ。11年ぶりに福岡空港に降り立つと、車で迎えに来てくれた太宰府在住の親類に頼んで坂本八幡宮へ連れて行ってもらった。普段は宮司が常駐せず、祭祀の時に太宰府天満宮から宮司が派遣されると聞く小さな神社に到着すると、参拝客が予想以上の長い列を作っていた。年配の氏子が、「御朱印はお一人様一枚でお願いします」と繰り返すアナウンスが響き渡り、おめでたい空気に包まれてはいるが非常事態だと、氏子の慣れない対応を見て感じる。「令和」初日、参拝も御朱印も数時間待ちのようだったが、小さな境内に入って参拝せずに帰る人も数人見かけ、私もそのひとりとなった。境内には特別な物は見当たらず、陽も傾いて来た神社に長居はせず、坂本八幡宮北東の高台に建つホテルでチェックインを済ませ、11年ぶりに会う親類と夕食に出かけた。食事からホテルに戻り、坂本八幡宮で配っていた「令和は、ここ坂本八幡宮から生まれました。」と書かれたパンフレットを見ていると、今後は宮司の常駐が必要だなと思った。
使用機材:SIGMA sd Quattro H + SIGMA 24-70mm F2.8 DG OS HSM | Art | 露出モード:M-マニュアル露出 | ISO感度:100 | ホワイトバランス:晴れ | シャッター速度:1/125 秒 | 絞り値:F4.5 | 焦点距離:60mm | ファイル形式:JPEG | 画像サイズ:6192 × 4128
ファイルサイズ:25.24MB
坂本八幡宮で配布していたパンフレットには、坂本八幡宮についてのものと、太宰府についてのものがあり、太宰府の方にある地図上で「歴史の散歩道」という道を見つけた。翌朝、私はホテルから「歴史の散歩道」へ歩いて向かった。東から九州の寺院を代表する観世音寺(かんぜおんじ)周辺まで歩いて来ると、左手には平らな土地が広がり、右手には四王寺山(しおうじやま)が控え、かつて7世紀後半から12世紀前半にかけて地方最大の役所である「大宰府」が置かれた地域の地形が少しずつ見えてきた。
使用機材:SIGMA sd Quattro H + SIGMA 70mm F2.8 DG MACRO | Art | 露出モード:M-マニュアル露出 | ISO感度:100 | ホワイトバランス:晴れ | シャッター速度:1/500 秒 | 絞り値:F5.6 | 焦点距離:70mm | ファイル形式:JPEG | 画像サイズ:6192 × 4128
ファイルサイズ:41.04MB
使用機材:SIGMA sd Quattro H + SIGMA 70-200mm F2.8 DG OS HSM | Sports | 露出モード:M-マニュアル露出 | ISO感度:100 | ホワイトバランス:晴れ | シャッター速度:1/320 秒 | 絞り値:F5.0 | 焦点距離:200mm | ファイル形式:JPEG | 画像サイズ:6192 × 4128
ファイルサイズ:19.57MB
使用機材:SIGMA sd Quattro H + SIGMA 28mm F1.4 DG HSM | Art | 露出モード:M-マニュアル露出 | ISO感度:100 | ホワイトバランス:晴れ | シャッター速度:1/500 秒 | 絞り値:F5.6 | 焦点距離:28mm | ファイル形式:JPEG | 画像サイズ:6192 × 4128
ファイルサイズ:37.37MB
使用機材:SIGMA sd Quattro H + SIGMA 28mm F1.4 DG HSM | Art | 露出モード:M-マニュアル露出 | ISO感度:100 | ホワイトバランス:晴れ | シャッター速度:1/250秒 | 絞り値:F5.6 | 焦点距離:28mm | ファイル形式:JPEG | 画像サイズ:6192 × 4128
ファイルサイズ:24.14MB
使用機材:SIGMA sd Quattro H + SIGMA 28mm F1.4 DG HSM | Art | 露出モード:M-マニュアル露出 | ISO感度:100 | ホワイトバランス:晴れ | シャッター速度:1/320秒 | 絞り値:F6.3 | 焦点距離:28mm | ファイル形式:JPEG | 画像サイズ:6192 × 4128
ファイルサイズ:22.17MB
使用機材:SIGMA sd Quattro H + SIGMA 28mm F1.4 DG HSM | Art | 露出モード:M-マニュアル露出 | ISO感度:100 | ホワイトバランス:晴れ | シャッター速度:1/500秒 | 絞り値:F5.6 | 焦点距離:28mm | ファイル形式:JPEG | 画像サイズ:6192 × 4128
ファイルサイズ:21.28MB
使用機材:SIGMA sd Quattro H + SIGMA 28mm F1.4 DG HSM | Art | 露出モード:M-マニュアル露出 | ISO感度:100 | ホワイトバランス:晴れ | シャッター速度:1/200秒 | 絞り値:F8.0 | 焦点距離:28mm | ファイル形式:JPEG | 画像サイズ:6192 × 4128
ファイルサイズ:24.27MB
坂本八幡宮に近い太宰府政庁跡は人出がさほど多くなかったので、前日に続き再び坂本八幡宮に近づいてみたが、令和2日目も参拝を待つ人の長い列ができていた。疲労のためか無愛想だった年配の氏子によると、御朱印は3時間待ちだった。この日は初夏のような陽気で気温が高かったせいもあると思うが、令和初日と比べると他の氏子も前日見せていた笑顔が少ないように見えた。
使用機材:SIGMA sd Quattro H + SIGMA 70-200mm F2.8 DG OS HSM | Sports | 露出モード:M-マニュアル露出 | ISO感度:100 | ホワイトバランス:晴れ | シャッター速度:1/640秒 | 絞り値:F4.0 | 焦点距離:200mm | ファイル形式:JPEG | 画像サイズ:6192 × 4128
ファイルサイズ:15.72MB
使用機材:SIGMA sd Quattro H + SIGMA 70-200mm F2.8 DG OS HSM | Sports | 露出モード:M-マニュアル露出 | ISO感度:100 | ホワイトバランス:晴れ | シャッター速度:1/1000秒 | 絞り値:F3.5 | 焦点距離:200mm | ファイル形式:JPEG | 画像サイズ:6192 × 4128
ファイルサイズ:25.94MB
新元号「令和」で大勢の人が押し寄せている坂本八幡宮からは、1300mほど南に位置し、親類に「菅原道真が晩年過ごしたことで地元では有名だから行ってみたら」と言われた榎社へ向かった。榎社は、901年に菅原道真が大宰府に左遷され903年に逝去するまで住んだ跡地で、当時、府の南館があったと云われる。1023年に道真の霊を弔うために浄妙院を建立したのが始まりで、境内に榎の大樹があったため「榎寺」と呼ばれるようになったと伝わる。榎社からは、観世音寺の境内から600mほど北の四王寺山の南麓にあり、地図上では「観世音寺子院跡」と記されている「推定金光寺跡」へ歩いた。寺院跡を見た後はまだ明るかったが、この日はかなりの距離歩きお腹も空いていたので、一旦ホテルに戻ってカメラリュックを置き、身軽になって電車で天神まで行き早めの夕食を親類と楽しんだ。
使用機材:SIGMA sd Quattro H + SIGMA 28mm F1.4 DG HSM | Art | 露出モード:M-マニュアル露出 | ISO感度:100 | ホワイトバランス:晴れ | シャッター速度:1/200 秒 | 絞り値:F5.6 | 焦点距離:28mm | ファイル形式:JPEG | 画像サイズ:6192 × 4128
ファイルサイズ:33.72MB
翌朝、6時過ぎにホテルを出て、菅原道真を祭神とする太宰府天満宮へ歩いて行った。901年、右大臣であった道真は、左大臣の藤原時平らの陰謀により大宰府に左遷(実際には流罪に近い)され、903年に現在の榎社で死去した。死後、道真の遺骸を牛車で安楽寺へ葬送中同寺の門前で牛が動かなくなり、これは道真の遺志によるものと考えられこの地に埋葬され、905年、その場に廟社(びょうしゃ)が建てられ天原山庿院安楽寺と号した。それより都では、疫病、飢餓、異常気象が発生し、藤原時平らが相次いで亡くなり、不吉な出来事が続いた。朝廷は「道真の祟り」として恐れ、919年、道真の墓所の上に社殿が建立され、安楽寺天満宮の創祀とされる。しかし、その後も「道真の祟り」は収まらず、道真は右大臣に復され幾つかの位を与えられ、そして天満大自在天神となった。現在、学問の神様として知られる太宰府天満宮は、もともとは安楽寺の敷地内に建立された。安楽寺と天満宮は共存し神仏習合で、安楽寺天満宮と呼ばれていたが、明治維新の神仏分離で多くの建物や仏像は売却又は破壊され安楽寺は廃寺となった。
使用機材:SIGMA sd Quattro H + SIGMA 28mm F1.4 DG HSM | Art | 露出モード:M-マニュアル露出 | ISO感度:100 | ホワイトバランス:晴れ | シャッター速度:1/250 秒 | 絞り値:F5.6 | 焦点距離:28mm | ファイル形式:JPEG | 画像サイズ:6192 × 4128
ファイルサイズ:26.04MB
使用機材:SIGMA sd Quattro H + SIGMA 28mm F1.4 DG HSM | Art | 露出モード:M-マニュアル露出 | ISO感度:100 | ホワイトバランス:晴れ | シャッター速度:1/250 秒 | 絞り値:F5.6 | 焦点距離:28mm | ファイル形式:JPEG | 画像サイズ:6192 × 4128
ファイルサイズ:23.18MB
使用機材:SIGMA sd Quattro H + SIGMA 40mm F1.4 DG HSM | Art | 露出モード:M-マニュアル露出 | ISO感度:100 | ホワイトバランス:晴れ | シャッター速度:1/400 秒 | 絞り値:F4.0 | 焦点距離:40mm | ファイル形式:JPEG | 画像サイズ:6192 × 4128
ファイルサイズ:18.55MB
太宰府に来たら逃すことの出来ない場所である太宰府天満宮に長居はせず、ホテルに戻って朝食を済ませた後、太宰府を後にした。海外生活のほうが長く、この数年やっと日本を少し旅するようになった私にとって、「令和」初日から、そのゆかりの地・太宰府を訪れることが出来たのはとてもラッキーだった。実は、新元号が「令和」と発表される少し前から、5月1日にしばらく会っていなかった親類に会いに太宰府へ行くことは決めてあり、福岡行きの飛行機チケットも購入してあった。「令和」の時代、いいスタートが切れたので新しい日本が見えてくるかもしれない。
※ このページに掲載された作品は、RAWデータ(X3F)を「SIGMA Photo Pro」で現像処理をしたものです。
一部、現像後にゴミ取りのためにレタッチソフトウェアを使用した画像もございます。