使用機材:SIGMA sd Quattro H + SIGMA 85mm F1.4 DG HSM | Art | 露出モード:M-マニュアル露出 | ISO感度:100 | ホワイトバランス:晴れ | シャッター速度:1/200 秒 | 絞り値:F3.2 | 焦点距離:85mm | ファイル形式:JPEG | 画像サイズ:4128 × 6192
ファイルサイズ:14.30MB
押本龍一、東京品川生まれ。
82年英語の勉強のため2年の予定で渡米。84年ニューヨークに渡り刺激を受け予定を変更、広告写真スタジオで働き始める。91年フォトグラファーとして独立。95年ニューヨークからロサンゼルスに拠点を移し現在に至る。エンターテインメント関係の撮影中心。近年はライフワークである旅写真に力を入れている。趣味は旅と山歩き。
オフィシャルサイト : http://oshimoto.net/
使用機材:SIGMA sd Quattro H + SIGMA 85mm F1.4 DG HSM | Art | 露出モード:M-マニュアル露出 | ISO感度:100 | ホワイトバランス:モノクローム | シャッター速度:1/500 秒 | 絞り値:F5.6 | 焦点距離:28mm
前号で源頼朝が源氏再興を祈願し、静岡県の三嶋大社から分霊を勧請し創建した森戸大明神周辺を撮影した。その後、頼朝について調べ、鎌倉幕府創設の大きな力となり三浦半島を支配した三浦一族に興味が湧き、一族終焉の地である油壷へ行ってみた。平日の朝、電車で京急三崎口駅へ、そこからバスに乗り終点の京急油壺マリンパークで下車し、森の歩道を歩く。事実上、三浦一族最後の当主であった三浦道寸義同(みうらどうすんよしあつ)の供養塔に立ち寄った後、胴網海岸に下りた。
使用機材:SIGMA sd Quattro H+ SIGMA 24-35mm F2 DG HSM | Art | 露出モード:M-マニュアル露出 | ISO感度:100 | ホワイトバランス:モノクローム | シャッター速度:1/125 秒 | 絞り値:F3.2 | 焦点距離:24mm | ファイル形式:JPEG | 画像サイズ:6192 × 4128
ファイルサイズ:20.96MB
使用機材:SIGMA sd Quattro H + SIGMA 85mm F1.4 DG HSM | Art | 露出モード:M-マニュアル露出 | ISO感度:200 | ホワイトバランス:オート | シャッター速度:1/250 秒 | 絞り値:F3.2 | 焦点距離:85mm | ファイル形式:JPEG | 画像サイズ:6192 × 4128
ファイルサイズ:15.23MB
使用機材:SIGMA sd Quattro H + SIGMA 12-24mm F4 DG HSM | Art | 露出モード:M-マニュアル露出 | ISO感度:100 | ホワイトバランス:オート | シャッター速度:1/125 秒 | 絞り値:F8.0 | 焦点距離:12mm | ファイル形式:JPEG | 画像サイズ:6192 × 4128
ファイルサイズ:15.39MB
胴網海岸の岩場を東へ歩くと階段があり、生い茂る草むらを登り切り半島の先端に出た。京急油壺マリンパーク下には岩場が広がり、海には釣り人が乗ったボートが浮かんでいた。岩場を南へ歩くと荒井浜に出た。海の家が2軒建っていて、日焼けした男が、砂浜に置かれた椅子に腰を下ろしていた男性に近づき「済みません、有料なんですけどー」と告げた。男性は苦笑いを浮かべ椅子から立ち上がりその場から立ち去った。海の家の男は「椅子、濡れてないかな?」と言い、カメラを持つ私をちらりと見た。私は海の家の方には向かず、海と岩場にレンズを向けた。
使用機材:SIGMA sd Quattro H + SIGMA 12-24mm F4 DG HSM | Art | 露出モード:M-マニュアル露出 | ISO感度:100 | ホワイトバランス:オート | シャッター速度:1/125 秒 | 絞り値:F8.0 | 焦点距離:12mm | ファイル形式:JPEG | 画像サイズ:6192 × 4128
ファイルサイズ:15.13MB
使用機材:SIGMA sd Quattro H + SIGMA 12-24mm F4 DG HSM | Art | 露出モード:M-マニュアル露出 | ISO感度:100 | ホワイトバランス:オート | シャッター速度:1/160 秒 | 絞り値:F11 | 焦点距離:12mm | ファイル形式:JPEG | 画像サイズ:6192 × 4128
ファイルサイズ:25.37MB
使用機材:SIGMA sd Quattro H + SIGMA 100-400mm F5-6.3 DG OS HSM | Contemporary | 露出モード:M-マニュアル露出 | ISO感度:100 | ホワイトバランス:オート | シャッター速度:1/640 秒 | 絞り値:F8.0 | 焦点距離:400mm | ファイル形式:JPEG | 画像サイズ:6192 × 4128
ファイルサイズ:15.93MB
使用機材:SIGMA sd Quattro H + SIGMA 24-35mm F2 DG HSM | Art | 露出モード:M-マニュアル露出 | ISO感度:100 | ホワイトバランス:オート | シャッター速度:1/320 秒 | 絞り値:F8.0 | 焦点距離:24mm | ファイル形式:JPEG | 画像サイズ:6192 × 4128
ファイルサイズ:26.10MB
使用機材:SIGMA sd Quattro H + SIGMA 24-35mm F2 DG HSM | Art | 露出モード:M-マニュアル露出 | ISO感度:100 | ホワイトバランス:晴れ | シャッター速度:1/320 秒 | 絞り値:F8.0 | 焦点距離:24mm | ファイル形式:JPEG | 画像サイズ:6192 × 4128
ファイルサイズ:35.92MB
使用機材:SIGMA sd Quattro H + SIGMA 85mm F1.4 DG HSM | Art | 露出モード:M-マニュアル露出 | ISO感度:100 | ホワイトバランス:晴れ | シャッター速度:1/1000 秒 | 絞り値:F5.0 | 焦点距離:85mm | ファイル形式:JPEG | 画像サイズ:6192 × 4128
ファイルサイズ:21.73MB
使用機材:SIGMA sd Quattro H + SIGMA 85mm F1.4 DG HSM | Art | 露出モード:M-マニュアル露出 | ISO感度:100 | ホワイトバランス:晴れ | シャッター速度:1/640 秒 | 絞り値:F5.6 | 焦点距離:85mm | ファイル形式:JPEG | 画像サイズ:6192 × 4128
ファイルサイズ:19.79MB
荒井浜から坂道を登り森の中の道を歩く。三浦一族最後の砦となった新井城跡は、東京大学の敷地で立ち入り禁止になっていた。頼朝亡き後、権力争いに勝ち残った北条氏は三浦一族が邪魔になり滅ぼしにかかった。北条早雲の大軍に攻めたてられた三浦軍は3年間油壷で奮戦した後、1516年(永正13年)に滅んだ。三浦道寸義同とその子、荒次郎義意(よしおき)は自刃、他の将兵は討死、生き残った者は油壷湾に身を投げたと伝えられる。湾は血の色の染まり油を注いだように見えたことから、その名がついたと言われている。
使用機材:SIGMA sd Quattro H + SIGMA 24-35mm F2 DG HSM | Art | 露出モード:M-マニュアル露出 | ISO感度:100 | ホワイトバランス:晴れ | シャッター速度:1/125 秒 | 絞り値:F5.6 | 焦点距離:24mm | ファイル形式:JPEG | 画像サイズ:6192 × 4128
ファイルサイズ:17.00MB
その後、私は油壷湾の東岸沿いを南へ歩き、油壷湾の南に位置する諸磯湾をつくる半島の先まで歩いた。小さな漁港を過ぎて岬に近づくと鳥居が建っていた。薄暗い境内に入って行くと女性が境内を後にするところだった。「お参りにわざわざ来られたのですか?」と話しかけると、「海岸のお掃除です。そこには灯台が建ち、素晴らしい景色だからお勧めです!」とカメラを持った私に言った。「神社の名前がどこにも見当たらないですね」と言うと、ここは諸磯神明社で左奥にある小さな祠は小桜姫神社だと教えてくれた。
使用機材:SIGMA sd Quattro H + SIGMA 24-35mm F2 DG HSM | Art | 露出モード:M-マニュアル露出 | ISO感度:100 | ホワイトバランス:晴れ | シャッター速度:1/400 秒 | 絞り値:F8.0 | 焦点距離:24mm | ファイル形式:JPEG | 画像サイズ:6192 × 4128
ファイルサイズ:18.33MB
使用機材:SIGMA sd Quattro H + SIGMA 24-35mm F2 DG HSM | Art | 露出モード:M-マニュアル露出 | ISO感度:100 | ホワイトバランス:晴れ | シャッター速度:1/500 秒 | 絞り値:F8.0 | 焦点距離:24mm | ファイル形式:JPEG | 画像サイズ:6192 × 4128
ファイルサイズ:20.28MB
使用機材:SIGMA sd Quattro H + SIGMA 12-24mm F4 DG HSM | Art | 露出モード:M-マニュアル露出 | ISO感度:100 | ホワイトバランス:モノクローム | シャッター速度:1/125 秒 | 絞り値:F8.0 | 焦点距離:12mm | ファイル形式:JPEG | 画像サイズ:6192 × 4128
ファイルサイズ:15.14MB
使用機材:SIGMA sd Quattro H + SIGMA 24-35mm F2 DG HSM | Art | 露出モード:M-マニュアル露出 | ISO感度:200 | ホワイトバランス:晴れ | シャッター速度:1/60 秒 | 絞り値:F4.0 | 焦点距離:35mm | ファイル形式:JPEG | 画像サイズ:6192 × 4128
ファイルサイズ:15.75MB
使用機材:SIGMA sd Quattro H + SIGMA 85mm F1.4 DG HSM | Art | 露出モード:M-マニュアル露出 | ISO感度:100 | ホワイトバランス:晴れ | シャッター速度:1/200 秒 | 絞り値:F3.5 | 焦点距離:85mm | ファイル形式:JPEG | 画像サイズ:6192 × 4128
ファイルサイズ:11.31MB
諸磯神明社の境内の横に建つ小さな鳥居は港に向いて建っていた。その鳥居を潜り、そのまま道なりに歩いて行くと階段を登り草むらの中に入り、灯台が建つ海岸に出た。境内で会った女性が単独で海岸のゴミを拾っていた。私は「偉いな−」と思わず独り言を言い、女性に教えてもらった白い灯台を撮影した。そこからは油壷の先が見え、新井城が自然の要塞に守られていたのがよく分かった。
使用機材:SIGMA sd Quattro H + SIGMA 24-35mm F2 DG HSM | Art | 露出モード:M-マニュアル露出 | ISO感度:100 | ホワイトバランス:晴れ | シャッター速度:1/125 秒 | 絞り値:F7.1 | 焦点距離:24mm | ファイル形式:JPEG | 画像サイズ:6192 × 4128
ファイルサイズ:17.60MB
使用機材:SIGMA sd Quattro H + SIGMA 12-24mm F4 DG HSM | Art | 露出モード:M-マニュアル露出 | ISO感度:100 | ホワイトバランス:晴れ | シャッター速度:1/250 秒 | 絞り値:F11 | 焦点距離:12mm | ファイル形式:JPEG | 画像サイズ:6192 × 4128
ファイルサイズ:15.81MB
小さな漁港からは三崎口駅行きのバスが出ていた。時刻表を見ると午後は数本しかなく、私は来た道を歩いて油壷まで引き返し、新井城跡周辺に再び戻ってみた。城と言っても新井城は立派なものでなかった。兵の数に大きく勝る北条軍が新井城を落とすのに3年間もかかったのは、その地形にあった。三方を海に囲まれた上、半島の細くなった部分を堀り切って海水を流し、敵が攻めてくる時は橋を引っ込める引橋をかけ、内陸からの進入を防いだのだ。最後は北条軍の兵糧攻めで三浦一族は食糧や着るものがなくなり、「腹が減っては戦ができぬ」状態で、最後は戦いどころではなかったかもしれない。
使用機材:SIGMA sd Quattro H + SIGMA 85mm F1.4 DG HSM | Art | 露出モード:M-マニュアル露出 | ISO感度:100 | ホワイトバランス:晴れ | シャッター速度:1/500 秒 | 絞り値:F4.0 | 焦点距離:85mm | ファイル形式:JPEG | 画像サイズ:6192 × 4128
ファイルサイズ:16.31MB
使用機材:SIGMA sd Quattro H + SIGMA 85mm F1.4 DG HSM | Art | 露出モード:M-マニュアル露出 | ISO感度:100 | ホワイトバランス:晴れ | シャッター速度:1/1000 秒 | 絞り値:F5.6 | 焦点距離:85mm | ファイル形式:JPEG | 画像サイズ:6192 × 4128
ファイルサイズ:17.52MB
使用機材:SIGMA sd Quattro H + SIGMA 24-35mm F2 DG HSM | Art | 露出モード:M-マニュアル露出 | ISO感度:200 | ホワイトバランス:モノクローム | シャッター速度:1/40 秒 | 絞り値:F3.5 | 焦点距離:27mm | ファイル形式:JPEG | 画像サイズ:6192 × 4128
ファイルサイズ:21.89MB
使用機材:SIGMA sd Quattro H + SIGMA 24-35mm F2 DG HSM | Art | 露出モード:M-マニュアル露出 | ISO感度:100 | ホワイトバランス:晴れ | シャッター速度:1/250 秒 | 絞り値:F8.0 | 焦点距離:35mm | ファイル形式:JPEG | 画像サイズ:6192 × 4128
ファイルサイズ:12.59MB
油壷からは三崎行きのバスに乗リ帰路についた。途中、引橋という交差点を通った。新井城跡に立つサインによると、当時、新井城までの陸路は北へ約3キロメートルの大手の引橋のみで、北条早雲勢は橋を引かれて渡ることが出来ず、三浦勢に時を稼がれたとあった。関東大地震による突起でその当時の面影がうすらいではいるが、地震前は谷のような場所だったとイメージできる。ここを外の引橋、城に近い方を内の引き橋と呼んだそうで、引橋は後に地名になった。戦国時代に地形を利用した戦いの跡が残る油壷は景色もよく、写真を撮るにも楽しい場所だ。
※ このページに掲載された作品は、RAWデータ(X3F)を「SIGMA Photo Pro」で現像処理をしたものです。
一部、現像後にゴミ取りのためにレタッチソフトウェアを使用した画像もございます。