SIMGA dp0 Quattro開発インサイドストーリー

dp0 Quattroの開発が「改めて」スタートしたのは2014年3月。実はこれ以前にも一度、14mm(35ミリ版換算で21mm相当)の超広角レンズを搭載したdpの開発プロジェクトが存在したことがあった。Quattro世代の1号機であるdp2 Quattroがまだ世に出る前のことだ。「超広角のdpを」というお客様からの要望は以前からあり、それに応えてのものだったが、間もなくそのプロジェクトは解散。まだ機は熟していなかった。

一度は消えたかに思われたこのプロジェクトに再び光が当たり始めたのは、社長の山木がふと漏らしたひとことがきっかけだった。かつてのプロジェクトメンバーはこれを歓迎したが、同時に気がかりなこともあった。お客様からの要望には応えたい。一方で開発には莫大な費用がかかる。超広角レンズとしては伝統的で馴染みのある焦点距離だが、これは交換用レンズではなく、ボディと一体化した「それしか撮れない」カメラである。果たして世の中に受け入れてもらえるのか。商品化に慎重になるのも無理はなく、社内には賛否両論あった。作るのか。作らないのか。そんな議論が何日も続いた後で山木が言った。「確かに売れないかもしれない。でも作ってみよう。シグマはチャレンジするメーカーだ。チャレンジをやめたら、それはもうシグマじゃない」。その言葉を聞いて、ある決心をした社員がいた。レンズ設計を担当する開発部 開発第2ユニット ユニット副部長の幸野朋来。レンズ設計のベテランである。「どうせ売れないなら、徹底的にやって歴史に残るような21mmレンズを作ってみよう」。それは決心というより、開き直りに近かった。


開発部 開発第2ユニット・ユニット副部長 幸野 朋来
開発部 開発第2ユニット
ユニット副部長 幸野 朋来

このレンズの設計に着手する前から幸野が心に決めていたことがある。それは「ディストーション(歪曲収差)率を0.5%以下」にすること。ディストーションとは歪み、つまり建造物や水平線など、本来まっすぐであるべき被写体の線や面が曲がって写ってしまう現象のことだ。広角になればなるほどこの傾向は強まり、補正が難しくなる。21mmでこれを0.5%以下というレベルに抑えられれば、「まっすぐなものがまっすぐに写るレンズ」と胸を張って言うことができる。幸野は、これをレンズ設計のもっとも重要な目標に定めた。

その頃、商品企画部門では、超広角レンズを搭載した新しいdp Quattroのスペックを検討していた。ボディに大きな変更はなく、検討の中心となるのはレンズである。焦点距離は21mmで決定。あとは開放F値をどうするか。すでにボディは決まっているため、レンズはそれに見合った大きさ、重さでなければならない。販売価格を一定の幅に収めるためには製造コストも無視できない。F値の大小は必ずしも性能の優劣を表すものではないが、そもそも超広角レンズはF値が小さいものを作りづらい。出た結論は、「レンズの開放F値は3.5から4.5の間」というものだった。このカメラには「0」というコードネームがつけられた。


開発部 開発第1ユニット・第1課 係長 冨永 学
開発部 開発第1ユニット
第1課 係長 冨永 学

レンズを含む、カメラ全体の設計を統括する開発部 開発第1ユニットの冨永学は、33歳という若さながら「0」のプロジェクトリーダーに任命されていた。これをどんなカメラにするかというイメージを固め、現実のものにしていくのが冨永の仕事である。商品企画部門の決定を受けて、冨永は幸野のもとに出向いた。「3.5で行きましょう」。少しでも明るいレンズを、と考えるのは当然である。ところが幸野はF4を考えていた。3.5と4。その差わずか0.5。しかしそれが大きな違いであることを、レンズの設計に長く携わってきた幸野は知っていた。もちろんF3.5のレンズだって作れるし、その方がマーケットのウケもいいだろう。だが、この0.5のために失うものもある。「ディストーション率0.5%以下」という目標もその一つだ。幸野は「少しでも明るい」ことよりも、レンズとしての基本性能を徹底的に突き詰めたかった。この点について、幸野はしばしば「素性」という表現を使った。素性のよいレンズ。それが幸野が作りたいものだった。

しかしそれで引き下がる冨永ではない。冨永はあくまでもF3.5にこだわった。まだスケッチ段階の設計図を持ってこさせ、鏡胴内の空いているスペースを指差しながら、もっと大きなレンズを収めることができるはずだと主張した。幸野の言葉を借りるなら「非常にしつこく」冨永は食い下がった。プロジェクトリーダーとして、冨永にも絶対に譲れない思いがあったからだ。スペックオーダーが「F3.5から4.5の間」ならば、その中で一番高いハードルを超えたい。それが冨永の考えだった。両者の主張は長いこと平行線を辿ったが、最後は冨永が幸野の思いを理解して0.5の攻防は決着した。これで決まった。レンズはF4で行く。