かくしごと。
仲間とか、友人というものは、なんとなくなれるものではない。
ただそこにいたからという理由ではそうはなれない。飲み屋でよく顔を合わせるのでしゃべる人、というのもいるかもしれないが、それは飲み屋で会った人に過ぎない。
人と人は「共通の課題を乗り越える」ことで、仲間になり、友人になるのだ、と私は思う。
小学校のクラスメートは、偶然おなじ教室に入れられただけだが、テストや、運動会や、共通の課題を乗り越えることによってそれぞれの関係ができてゆく。
おとなになってからは、共通の課題の最たるものである「仕事」を通じてそうなっていくものだ。極端な例だが、古今東西を通じて特に仲間意識が強く、交友が生涯続く関係というのは、比喩ではない意味の「戦友」であろう。
一定の期間、同じ目的意識を持った人同士は、仕事のために待ち合わせする、時刻通りに相手が現れる、そんな積み重ねで信頼を育む。そうした中で、お互いの事情や、心の内側に共感を持てるようになった関係が、仲間であり、友人と呼べるのではないだろうか。
きょう会うのは、私のそんな仲間のひとりである。
夏生さえりさん。
ナツオさんというのはちょっと耳慣れないので「さえりさん」と呼ばせていただく。さえりさんとは、2016年から2018年までの2年間、共通の課題に取り組んだ。
どんな2年間だったかは、下記にくわしい。
その2年間で、むやみやたらにさえりさんに向けてシャッターを切った。いや、仕事の一環ではないのである。仕事現場には、彼女には彼女の、私には私の任務があった。しかし、なんとなくの語義を問いたいが、なんとなく何万枚も彼女の写真を撮ってしまった。彼女のほうは自分の業務をこなしているわけであるから、私が写真を撮っているのに構っているヒマはないのである。
必然的に、何万枚写真ができあがろうが、私が構えるレンズを彼女が見つめる写真は一枚もない。
あるとき、私が撮影する姿を、彼女にスマホで捉えられてしまった。

これはひどい。
なので今回は、お互い仕事のないところで彼女の写真を撮ってみたい。ひどい姿ではなく、写真者として、ひとりの被写体に向き合ってみたい。そして、こっちを向いてくれる可能性を探ってみよう。
「はぁ。そうですか」
季節が冬に差し掛かった日の午後、私たちは待ち合わせた。まだ彼女にこちらを見る気配はないようだ。しかし、私の手の中にはポートレートを撮るための強力な助っ人がいる。SIGMA 135mm F1.8 DG HSM | Artだ。
大口径単焦点、もっとずっしりと重いかと思ったが、意外な軽さに驚いた。しかし、フードをつけてカメラに装着してみると、中望遠らしい姿になる。
さて、さえりさん。
「はい」
このレンズ、すごいでしょう。
「ガラスのかたまりですね」
藤原のかたまり。大化の改新。
「あいかわらず、しょうもないこと言いますね」
おお、こっち見た。驚いてピントを外してしまった。
135ミリの絞りを開放すると、世界から彼女だけが浮き上がって見える。3D映像のようだ。そもそも現実は3Dのはずである。だが、背景がいわゆる「ボケ」として整理され、見ようとするところだけに視覚が集中する体験は、実際の肉眼ではありえない。一点に感覚が集中した時の人間の認識そのものをかたちにしてしまうことに、カメラとレンズの存在意義がある。
さてさて、さえりさん。2年ほどお仕事ご一緒しましたが。
「楽しかったです。ひろのぶさんは冗談を言う時間が9割、いいことを言う割合が1割なので、時折いいことを言っているときさえ冗談なのではないか?と思うのですが、いいことを真面目に言うと嘘くさくなるので、そのあたり含め、いいなと思っています」
いいことしか言わないんですけどね。
私たちは、かくしごとをし ているわけですが。
「かくしごと?」
書く仕事、ですね。文章をつくって、読んでもらっておかねをもらう。私もなぜそんなことになってしまったかわからないんですが、さえりさんはなぜ、書く仕事につくことになったんでしょう?
「学生時代には書く仕事には到底つけない、と思っていたんですが
書籍やWebの編集者を経験して、 “ 読んで、つくる側 ” に回っているうちに、いつのまにか仕事をいただけるようになり、たどり着いていました。いまだに信じられない部分もあります」
書くときに心がけていること、あります?
「読んでくれる人の存在を忘れないこと、でしょうか…。 “ 書く人 ” にはいろんなモチベーションがあると思うんですけど、わたしの場合は “ 有名になりたい ” でもなければ “ 思いを世界に放ちたい ” でもなく、“ 読んだ人が少しでもハッピーになれば嬉しい ” なので、常に心の中に読者の存在があります。そう思うに至ったワケは、わたしが引きこもりをしていた時期にあるはずですが…」
重たい話やな。まあ、いつか話してください。
「その話はまたいつかしましょう」
どうやって書いてるの? いつも。
「ショートストーリーなど物語であれば、まず頭の中で映像を観るんです。それを必死に文字に変換しています。後ろに電柱があるな、横の角から車が出てきたな、彼は身長が高いな、というふうに。なので一度観てしまえば、描き上げるのは早いほうです。たぶん」
書くの、しんどくない? 私はしんどい。
「自分から文章が出てくるようになるまでは、ずっと悩み事を抱えているときのような状態なので、もやもやしていますが、書くこと自体は “ しんどい ” とも “ 楽しい ” ともどちらとも言えない気持ちです。なんというか、とても自然な行為なので、やれ!と言われても、やるな!と言われても、困るというか」
わしはまったくやらんでも困らんのう。
「…私らしからぬ表現で答えていいでしょうか」
許可。
「なんというか、書くのって “ 便意 ” に似ているような気がするんですよ。お食事中の人すみません。たくさん取り込んだら、そろそろ出したいな〜という日が自然に来るというか。でも時にお腹の調子が悪いときは、なかなか出なかったり、逆に出るんだけどどうにもまとまりが悪かったりと辛いときもあって、かと思えば、体が一瞬で軽くなったような幸福感が溢れることもあります」
許可せんかったらよかった。
「じゃあ書いたものは排泄物かと問われると困っちゃうので、このあたりの話はもっとうまいこと言えるように精進します。この話はこの辺で勘弁してください」
自分で始めたやろ、その話。話題変えるついでに、カメラとレンズも変えてみましょう。
こっちで撮ってみますね。オリンパスのカメラを使うと、私、ついふわふわなソフトフォーカスのエフェクトをかけてしまうんですけど。
好きな作家とか、映画監督とかいます?そういうの、訊いたことなかったな。
「ミヒャエル・エンデ。」
ああ、『モモ』の。
「はい。『はてしない物語』を読むたびに、大事なものは全てここにある、と思ってしまいます。これほどまでに世界の真理を詰め込んだ説教くさくない物語をわたしは知らないし、この物語が世界にあるうちは、大丈夫だと思ってしまう。読むたびに、“ わたしはなんてバカなんだろう、こんなことを忘れていたなんて ”と、なにかを悔いそうになるんです」
ああ。
「それなのに読み終わると “ ああ、おもしろい物語だった ” なんて月並みな感想しか出てこない。物語の世界に入り込んでいるうちに、大事なものが染み込んで、染み込んだのは確かなのに、それを言語化できない…なぜなら物語の世界に入り込んでいたから、という不思議な体験をいつも味わいます」
ああ、ああ。なるほど、そうですね。読むってそういうことかもしれない。
「これこそ、真の物語。作家が、物語を書く意味じゃないですか。叶わないのに憧れてしまう、夢みたいな作家です」
「それから、ボブ・フォッシーですね。映画監督であり、ダンサー、振付師。代表作は…、なんだろう。ライザ・ミネリ主演の『キャバレー』でしょうか」
おお。大好きです。
「彼のつくるダンスの奇抜さはずば抜けていて、マイケル・ジャクソンの “ ムーンウォーク ” もすでに彼が映画内で披露しているというほどのカリスマっぷりですよね。どのダンスシーンを切り取っても美しく歪な “ 絵 ” になっていて、目が離せないんですよ。一番のおすすめは、『スイート・チャリティ』ですね。奇抜な振り付けだけでなくて、曲も素晴らしいです。彼の個性的な映画を見るたびに “ 自分の感性を信じる ” という言葉が、頭に浮かびます」
私がすごいと思うのは遺作の『オール・ザット・ジャズ』かな。とことん狂った映画です。
日本の作家で好きなのは?
「好きな小説家は多いんですが、綿矢りさ。彼女の文章は、一文ごとに新鮮な驚きに満ちているところが好きです。何度も声に出しては、『はーん』とか『ほーん』とか感激して前に進めなくなりますね」
私は、芥川賞を受賞した『蹴りたい背中』の冒頭、「さびしさは鳴る。」が世界書き出し文学大賞優勝じゃないかと思ってます。
「そんな文章を書いてみたいものです。一文だけでいいから」
これからどんなものを書いてみたいですか?
「どんなテーマがいいんでしょうね〜。読みたいと言われたものを、頑張ってみたいです。でもじつはわたし、放っておくとすぐ “ 暗いもの ” を書いちゃうんです。そういうのをもう少し出したいような気はしますね。ちょっとだけ」
宣伝したいことあったらしていいよ。
「春になったら、幻冬舎plusで連載をしていたエッセイが本になります。完全なるエッセイは初めてで、うれしくて小躍りしているので、ぜひ手に取ってください」
宣伝かよ。
「宣伝せい言うたやろ。あとはTwitterフォローしてください」
それまでの2年間の千倍ほどこちらを見て話した彼女は帰っていった。
かつて共通の課題を乗り越えた仲間として旧交を温めたように思えたが、しかし、私たちが会って、また一緒にあらたな「かくしごと」をするのは、この記事が掲載される2日後なのだった。
まだ、お互いに乗り越えなくてはいけない課題がそこにあることは、うれしいことなのだった。
田中 泰延
1969年大阪生まれ。株式会社 電通でコピーライターとして24年間勤務ののち、2016年に退職。「青年失業家」「写真者」を名乗り活動を始める。2019年、初の著書『読みたいことを、書けばいい。』(ダイヤモンド社)を上梓。Twitter:@hironobutnk
夏生さえり
フリーライター。出版社勤務・Web編集者を経て2016年に独立。Twitterの恋愛妄想ツイートが話題となり、フォロワー数は合計18万人を突破(月間閲覧数1500万回以上)。女性向けコンテンツを多く手掛ける。 著書『今日は、自分を甘やかす』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)、『口説き文句は決めている』(クラーケン)、『やわらかい明日をつくるノート』(大和書房)、『今年の春はとびきり素敵な春にするってさっき決めた(PHP研究所)』。
Twitter:@n908sa