時代の顔を撮り続けた写真家
text: 河内 タカ
Winter/2015-2016
アウグスト・ザンダーは肖像写真家として優れたポートレートを撮ったドイツの写真家です。ザンダーは国際的な写真展で何度も入賞するなど、若くしてかなりの成功を収めていたものの、彼の心の奥でふつふつと沸き上がっていたとてつもないアイディアというのが、「ドイツのあらゆる階級の人々の肖像写真を撮影する」という壮大なプロジェクトだったのです。
この構想は、まず1910年代にドイツのケルン近郊に住む農民たちの撮影から始められ、その際にザンダーが念頭に置いていたこととして、「被写体になる人々を極力自然な姿で写す」ことがありました。しかも、このプロジェクトに限っては、被写体になった人々からお金を受け取らなかったそうで、それはもし仕事として撮ったものだと、笑顔を作ったり着飾ったりして、彼らの内面から浮かび上がってくるようなありのままの表情を写し出すことができないと考えたからかもしれません。
ごく自然な状態での撮影ということを踏まえ、ザンダーはいつもの着慣れた仕事着や普段着のまま大判カメラの前に立たせ、彼らの立場や職業を特徴付けるように撮り続けました。農夫、煉瓦職人、コック、芸術家、音楽家、聖職者、兵士、失業者など、さながら人類学者のごとく職業や社会的な立場を標本のように仕分けながら、ドイツ社会全体を描き出すべく、彼の飽くなき挑戦は続けられたのです。
このプロジェクトは、様々な困難に直面しながらも断続的に1950年代まで粘り強く続けられ、結果、撮られた総数も4万点を超えるまでになっていました。ザンダーはこれらの肖像写真を分類し、図鑑のような写真集を出版することを目指していたようですが、彼の生前にはそれは日の目を見ることはありませんでした。
時代はナチス・ドイツが権力を強めていった頃であり、彼らが理想としたアーリア民族の純化を目指していたことに相反するとして、他の民族やホームレスなどを撮影していたザンダーの行為を敵視していたのです。加えて、長男エーリッヒが左翼的な政治活動により逮捕され投獄されたことで、ザンダーへの執拗な監視が続いたため、撮影の自粛が余儀なくされます。さらに追い打ちをかけるように、1929年に生前唯一出版した『時代の顔』の原版が破棄され、残部の在庫もすべて押収、揚げ句の果てに写真スタジオも爆撃によって破壊されてしまいました。
このように不遇な生涯を送り、1964年に没したザンダーでしたが、戦火を逃れるために一時期小さな村に移り住んだことで、フィルムの多くがどうにか消失することなく残されていました。そして彼のもう一人の息子であったギュンターが父の意思を引き継ぐ形で、1980年になってようやく1冊の写真集として刊行されたのです。その本にはザンダーが生前に名付けていた『20世紀の人々』というタイトルが付けられ、ドイツの市井の人々をまっすぐに捉えた至極のポートレートがページを満たしていたのでした。
河内 タカ
高校卒業後、サンフランシスコのアートカレッジへ留学し、卒業後はニューヨークに拠点を移し、現代アートや写真のキュレーションや写真集の編集を数多く手がける。長年にわたった米国生活の後、2011年1月に帰国。2016年には自身の体験を通したアートや写真のことを綴った著書『アートの入り口』(太田出版)を刊行。2017年1月より京都便利堂のギャラリーオフィス東京を拠点にして、写真の古典技法であるコロタイプの普及を目指した海外事業部に籍を置き、ソール・ライターやラルティーグのなどのポートフォリオなどを制作した。最新刊として『芸術家たち 建築とデザインの巨匠 編』(アカツキプレス)がある。