蓮井 幹生
写真家
Produce: Yoshinao Yamada, Photo: Hiroshi Iwasaki, Video: DRAWING AND MANUAL
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“僕の道具選びの基準は
いたって簡単です。
人間くさいかどうか。
道具を介して、それを作った人の姿や
気配が感じられるかどうか、ただそれだけ”
父親が形見代わりにくれたカメラがあって、
それで撮り始めたのが最初
蓮井幹生、お坊さんです。写真家です。あと、最近はコーヒーの焙煎も10年過ぎたので、まあ焙煎士というふうに言ってもいいかなって、ちょっと悩んでるところ。
カメラを始めたのは小学校の1年生か2年生ぐらいのときです。父親がアマチュアの写真家だったので、無理やり教えられて。でも、子どもの時にそういうのを無理やり教えられると嫌になるから写真は大嫌いで、写真だけはやるまいとずっと思い続けていた(笑)。それが大人になって急に写真をやりたくなったの。父親が形見代わりにくれたカメラがあって、それで撮り始めたのが最初だから、ちゃんと勉強し始めたのは30歳ぐらいかな。
Nikomat ELっていうカメラだね。それにKOMURAのKOMURANONの135mmと、それからNikonの50mm、確かレンズはその2本しかなかった気がする。
あの時代と今のSIGMAって、
もう全く別のメーカーとしか言えないですよ
fpまでのカメラ履歴……。何台だろう? 一番最初はNikomatで、その後すぐにLeicaのM3を買ってずっと愛用していたんだけど、やっぱり中判がいいと思ってHasselを買いました。そこからはほとんど35mmと8×10で仕事をしてましたね。35mmで一番長く使ったのはやっぱりNikonかな。その後MINOLTA、PENTAX、Canon、Leicaといろいろな一眼レフを使ってましたね。僕は中途半端が嫌いなたちだから、カメラボディを替えるとシステム全部、フルセット入れ替えちゃうんですよね。
SIGMAのレンズは昔も今も使ってますよ。でも、2012年以降の「現代版SIGMA」になる前のレンズは、やっぱりヘリコイドの感触とか、全体的なクオリティへの満足感のせいで、結局買ってもほとんど使わなかったな(笑)。それを考えるともう、今のSIGMAはすごくいいじゃない。やっぱり本当に生まれ変わったと思うし、あの時代と今のSIGMAってもう全く別のメーカーとしか言えないですよ。
「世界はどう見えるだろうか」を考え抜いて、
個々の製品として具現化してくれている
今のSIGMAのレンズがすごくいいなって思う理由は、外側はすごくしっかりデザインされていて、もちろん性能も素晴らしいっていうところ。もしかすると今世界で最も優秀なレンズっていったら僕はSIGMAじゃないかなと思っています。
でも、僕が一番素晴らしいと思うのは、その「コンセプト」にあると思っていて。例えば、SIGMAがF1.4シリーズを作っていることに強い意志を感じるわけ。それはつまり、心象や印象の強さを、レンズを通した視覚体験として再現したいという強い想いを感じるんです。「世界はどう見えるだろうか」を考え抜いて、個々の製品に具現化してくれているのがわかるんです。それを哲学と言えばそうなのかもしれないけど、SIGMAの場合はむしろもっと柔軟で自由な発想に基づいているように思えます。写真家は今何を求めているかとか、「こんなもん作っちゃったんだけど、どう使ってもらえるかな」みたいな、もっと自然体なところが感じられるのがSIGMAとその製品の面白さだと思ってる。だから今回のfpもそうだけど、こんなカメラあったらカメラマンはどう使う? とか、普通の人はどう使うの? とかいうところを、逆に僕らが試されてる感じがするんだよね。
言葉で表現できないから写真を撮ってるわけでしょう?
カメラとは何か? 言葉です。僕の言葉。もうそれ以外の何ものでもないです。言葉です。だから僕、自分の作品には言葉は要らないと思ってますよ。例えば、アメリカとかヨーロッパに作品を持っていくと必ず「Do you have an artist statement?」とか言われるわけ。でもね、そんなもん書いて説明できるんだったらとっくに書いてますから。言葉で表現できないから写真を撮ってるわけでしょう? 僕も前は一生懸命ステートメントを書きました。どんなコンセプトで、どういう状況で、どうして撮ったかを一生懸命書いて。でも説明すればするほど、自分のイメージが小さくなっていっちゃうんだよね。なぜだろうって考えたら、写真が僕の言葉だからなんだ、それ以上の言葉はいらないんだなとわかったの。もしも篤志家がいて、「蓮井さん、あなたが一生使えるだけの機材や感材をあげるから、それを持って風光明媚な無人島に行って、そこでずっと写真を撮ってください。でも、その作品は誰にも見せられませんよ」って言われたとしたら、きっと撮らないし、撮れないと思うんです。やっぱり写真って、誰かに見てもらいたいから。写真は僕の言葉だから。独り言じゃつまらないし、自分が何を考えてるかを誰かに伝えらえることがうれしいわけで。
僕の道具選びの基準はいたって簡単です。人間くさいかどうか
僕の道具選びの基準はいたって簡単です。人間くさいかどうか。道具を介して、それを作った人の姿や気配が感じられるかどうか、ただそれだけ。いいものっていうのは、デザインに限らず、性能にしても、そのものの個性っていうのが際立っているものが面白いでしょう? 車も同じで、「誰が作ったんだろう」っていうようなところ、それを作った人間の想いが表れてるものが僕は好きなの。理屈から作ったものは嫌いです。
その意味で言えば、今、特に日本の製造業から生み出されるプロダクトのほとんどは、「想い」から作られてないですよ。こういうデザインでこうしとけば売れるでしょ、ってマーケティングから生まれてるのが見えすぎている。それもいろんな人の思惑や理屈のつじつまを合わせてできているのがわかる。この製品は誰が作ったのか問われて「私が作りました」って言える人が出てこない、そういう物ばかりじゃないですか?
やっぱりfpがなぜいいかっていうと、
fpを作りたかった人がいるはずなんです
やっぱりfpがなぜいいかっていうと、fpを作りたかった人がいるはずなんです、「こんなカメラがあったらいいんじゃないの」って。すっごいコンパクトですよね。とにかく本体はコンパクトであるべき。で、「必要なものはそこにつけていけばいいじゃん、そうすればいろいろな人が使えるでしょ」っていう想いを持った人がいると思うんです。だからfpは、そういう意味で面白い。同じようにたとえばLeicaは、Leicaという明らかな人格をもったメーカーが築き上げてきた一つのルールがはっきりとある。「写真はどうあるべきか」「カメラはどうあるべきか」って思想がそこに貫かれてるから、やっぱりすごいと思うんです。それが僕の物選びの基準であり、どんなプロダクトであっても、それを作った人が見えるか見えないか、もしくは想像できるかできないか。もし、特定のデザイナーによるものではなく、実質的には合議制で作られたプロダクトであっても、そこに一つの個性や思想が表れてたら、僕はそのプロダクトはすごく好きです。それを感じないものは、もう身の回りに置きたいと思わない。
fpはそういう形じゃなくて、ものすごくちいちゃくてシンプル。そしてそこに作った人の顔が見えている。そこまで振り切ってるってことはすごい大事で。人が作ったもので素晴らしいものって全部、家具でも生活用品でも、車にしても、振り切れてるかどうかだよね。そういうことで言えばfpは振り切れてます。